渾沌、七竅に死す。 渾沌のプロフィール
『荘子』應帝王 第七
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福永光司の解説金谷治の解説藤堂明保の解説 || 荘子内篇の素読

【原文】  ※原典「荘子」 荘子―古代中国の実存主義 (中公新書)
 南海之帝為儵,北海之帝為忽,中央之帝為渾沌。儵與忽時相與遇於渾沌之地,渾沌待之甚善。儵與忽謀報渾沌之コ,曰:「人皆有七竅以視聽食息,此獨無有,嘗試鑿之。」日鑿一竅,七日而渾沌死。

【読み下し】
 南海の帝を儵(しゅく)と為(な)し、北海の帝を忽(こつ)と為(な)し、中央の帝を渾沌(こんとん)と為(な)す。儵と忽と、時に相与(あいとも)に渾沌の地に遇(あ)う。渾沌、之(これ)を待つこと甚(はなは)だ善(よ)し。儵と忽と、渾沌の徳に報いんことを謀(はか)りて、曰(い)わく「人皆七竅有りて、以て視聴食息す。此れ独り有ること無し。嘗試(こころ)みに、之を鑿(うが)たん。」と。日に一竅を鑿つに、七日にして渾沌死せり。

渾(コン)
 軍は「勹(とりかこむ)+車」で、並べてまるくまとめること。
 渾は「水+音符軍」で、全体がまるくまとまり、とけあっていること。
 ごたまぜになっているさま。分化せずに全体が一つにとけあっていること。ぜんぶひっくるめて。

沌(トン)
 「水+音符屯(トン)(ずっしり)」
 「混沌(コントン)」とは、万物が形をなさず、もやもやとしたさま。宇宙・万物のはじめの状態をいう。
 【混】 ・・・ 「水+音符昆(コン)(まるくまとまる)」

儵(シュク)
 「K+(音符)修の略体」で、小さく細くちぢむの意を含む。
 たちまち。ほんのわずかな時間のうちに。
 儵忽(シュッコツ)(あっというほどの短い間)

忽(コツ)
 「心+音符勿」で、心がそこに存在せず、はっきりしないまま見すごしていること。
 たちまち。いつのまにか。うっかりしているまに。


【解釈】 福永光司金谷治藤堂明保

★その1(福永光司) topへ!

 さて、応帝王篇の最後の説話は、有名な”七竅に死す”の寓話である。この寓話は応帝王篇の結論であるとともに、荘子全体の結論とも見ることができよう。

 「南海の帝を儵(しゅく)と為(な)し、北海の帝を忽(こつ)と為(な)す」

 「儵」「忽」はこれを一語にして、儵忽(しゅくこつ)という言葉があるように、いずれも極めて短い時間、束の間(つかのま)という意味である。この、人間の束の間の生命を象徴するかのごとき、儵という名の南の海の支配者と、忽という名の北の海の支配者とが、ある時、その遙かなる海の果てから、世界の真中(まんなか) ── 渾沌の支配する国で、ゆくりなくも一緒にめぐりあった。「渾沌」とは、いうまでもなく、大いなる無秩序、あらゆる矛盾と対立をさながら一つに包む実在世界そのものを象徴する言葉にほかならない。

 訪れてきた儵と忽の二人を、渾沌は心から歓待した。儵と忽とは、束の間の生命を渾沌の国 ── 心知の概念的認識を超え、分別の価値的偏見を忘れた実在そのものの世界に歓喜した。そして渾沌の心からなる歓待 ── 生命の饗宴に感激した儵と忽は、何とかしてこの渾沌の行為に報(むく)いたいと思った。いろいろと相談した二人が、やっと思いついた名案は次のようなことであった。

  ── そうだ。人間には七つの竅(あな) ── 目耳口鼻の七竅(きょう)があって、美しい色を視、妙なる音を聴き、美味(うま)い食物を食い、安らかに呼吸するが、この渾沌だけには一つも竅(あな)がない。そうだ、せめてもの恩返しに、ひとつ七つの竅を鑿(ほ)ってやろう。

 二人は力を合わせて、せっせと渾沌の体に鑿(のみ)を揮(ふる)い始めた。最初の日に一つ、次の日にまた一つ、その次の日にさらに一つ・・・・・ かくて七日目にやっと七つの竅(あな)が鑿(ほ)りあがった。けれども、目と耳と口と鼻の七つの竅(あな)をととのえて、やっと人間らしくなった渾沌は、よく見ると、もはや空(むな)しい屍(しかばね)と化していた。<後略>

   【荘子(朝日新聞社・中国古典選)】より

 この<後略>の部分こそが、感動的な解説となっています。是非とも、

  『荘子』内篇 (福永光司/講談社学術文庫)
  『荘子』(福永光司/朝日新聞社・中国古典選)

 をお読みください。



★その2(金谷治) topへ!

[1]  「南海の帝を儵(しゅく)と為(な)し、北海の帝を忽(こつ)と為(な)す」

 これらの「儵」「忽」「渾沌」という名まえには寓意がある。「儵」「忽」はいずれも迅速の意味で、すばやく機敏なことから人間的有為にたとえ、「渾沌」は未分化の総合態で自然にたとえている。

[2] この章は「渾沌、七竅に死す」の有名な寓話である。人間的な有為のさかしらが、自然の純朴を破壊することを象徴的に説いたものとして、『荘子』の寓話のなかでも傑作である。

 南海の帝を儵(しゅく)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を渾沌(こんとん)といった。儵と忽とは、その渾沌の恩に報いようと相談し、「人間にはだれにも〔目と耳と鼻と口との〕七つの穴があって、それで見たり聞いたり食べたり息をしたりしているが、この渾沌だけにはそれがない。ためしにその穴をあけてあげよう」ということになった。そこで一日に一つずつ穴をあけていったが、七日たつと渾沌は死んでしまった。

  【荘子(岩波文庫)】より


★その3(藤堂明保) topへ!

 人間のさかしらな小細工は、しばしば物本来の姿をぶち壊して、ぶざまな残骸をさらすことになりかねない。<荘子>の中に次のようなおもしろい寓話(寓話)がみえる。
 中央の皇帝渾沌(こんとん)は、たいへんおおらかな親分であったが、コントンとして、ただもやもやと丸く鎮座しているのみで、目も口もない。そのお世話になった南海の皇帝と北海の皇帝とは、なんとかご恩に報いたいと相談した。
 「わしらには、目耳鼻口と七つの穴があるおかげで、見たり聞いたり、かいだり食べたりすることが出来る。がしかし、コントン様には一つの穴もない。ひとつお礼のしるしに、お顔に七つの穴をあけて進ぜよう。」
 二人はノミとツチとを携えて訪問した。そして毎日一つずつ、せっせとコントンに穴をあけてあげた。ところがなんたることぞ、コントンは日増しに衰えて、七つの穴のそろった七日目の朝、プッツリとこと切れてしまった。
 渾沌はコントンとして自適しているところにその本領があったのだ。いたずらに五感を悩ませる耳目鼻口などを与えられては、迷惑どころか、ノイローゼにたえかねて死んでしまったのである。耳の穴が二、目と鼻の穴も各二つ、口が一つ、合計して七穴となる。<後略>

 この<後略>の記述が重要。また別の項目で引用します。(渾沌)

  【言葉の系譜(新潮ポケット・ライブラリ)】より
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