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資料 春秋戦国時代の中国の思想


V 縦横家  ノート:法家・縦横家

1 蘇秦 ・・・ 鶏口牛後  牛・丑・うし・ウシ(1) 鶏口牛後

 秦の国は、諸侯をおどしつけて、領土を分割せよと要求してきた。(時に)洛陽の人で、蘇秦という者がいた。(蘇秦は初め)秦の恵王に自分の意見を説いたが採用されず、やむを得ず燕の文侯に意見を述べて、趙の国と同盟を結ばせ(て秦に対抗させ)ようとした。燕は(蘇秦の説に賛成して)蘇秦に資金を与え、そして趙の国に行かせた。(蘇秦は趙に着くと)粛候に意見を述べて、こう言った。「諸侯の兵は、秦の十倍あります。(諸侯が)力を合わせて西に向かっ(て秦に対抗し)たら、秦はきっと敗れるでしょう。王のために考えますと、六つの国が南北に同盟を結んで、そして秦をしりぞけるのにまさる方法はありません」粛侯は考えたすえに蘇秦に資金を与えて、その資金で、諸侯(を説得して、同盟を結ばせること)を約束させた。(そこで)蘇秦は、俗世間でいうことわざで諸侯を説得して、こう言った。「ニワトリのくちばしになったほうが、ウシの尻の穴になるよりもいいでしょう」(小さくてもその長になったほうが、大きいもののビリにつくよりもいいでしょう)。
 「寧為鶏口、無為牛後(后)」 ※【解説】(後ほどアップ 必読
こうして六つの国は、南北に同盟を結んだ。

 蘇秦は、鬼谷氏を先生としていた。(蘇秦が)最初に遊説に出たときは、(どの諸侯も意見を聞いてくれず、)困窮して家に帰ってきた。(しかし)妻は機織り台から下り(て夫を迎え)ようともせず、兄嫁は蘇秦のために炊事することもしなかった。(ところが蘇秦は)今や、同盟軍の長となり、六つの国の共通大臣となったのである。途中、洛陽を通り過ぎた。(蘇秦の)乗り物や騎兵や荷車などの行列は、王に比べられるほど、立派であった。(蘇秦の)兄弟や妻や兄嫁は、目をそむけてまともに見ることもせず、ひれ伏したままでそばにひかえて、食事の給仕をした。蘇秦は (そのあまりの変化を見て)笑って言った。「どうして、以前には、いばっていたのに、今はていねいなのかね」兄嫁は答えた、「あなたの地位が高くなり、お金もたくさんあるのを見たからです」蘇秦は、がっかりして嘆いて言った。「この私は、同じひとりの人間だ。(それなのに)金持ちになり地位が高くなると親戚の人までが私を恐れ敬い、貧乏になり身分がいやしくなると私を軽視しバカにする。(親戚の人がそうだから)まして一般の人はなおさら(そう態度を変える)だろう。
 もしこの私に、洛陽の郊外に、田畑二頃を持たせ(て、生活が楽だっ)たとしたら、(私はそれに満足して、別に発奮もしなかっただろうから)どうして六つの国の大臣の印を身につけるようなことになっただろうか、まず、ならなかっただろう」
 「使我有洛陽負郭田二頃、豈能佩六国相印乎」
そこで千金を使って、親戚一同や友人たちに分け与えてやった。(さて)六国同盟が結び終わると、(蘇秦は)趙の国に戻った。趙の粛候は、(蘇秦に)領土を分け与えて、武安地方の長官とした。
 その後、秦は(六国同盟を破ろうと)犀首を使って趙をだまさせ、同盟を破ろうとした。(策は成功し)斉と魏とが趙を攻めた。蘇秦は(同盟が破れて失脚するのを)恐れて趙を離れたので、同盟は解消してしまった。
 魏の人に張儀という者がいた。(張儀は)蘇秦と先生が同じだった。ある時、楚に出かけて行き、その宰相から辱めを受けた。
 張儀の妻は、むっとして張儀をなじった。(しかし)張儀は言った。「私の舌を見てくれ。まだあるかどうか。(この舌があればかならず恥をそそいでみせる)」(さて)蘇秦は同盟軍を結んだとき、張儀を(わざと)怒らせて、(敵国の)秦に行かせた。張儀は(逆に恩義を感じて)言った。「(同盟軍が)蘇秦さんのものであるうちは、私はどうしてわざわざ何かを言いましょうか、何も言いません。(蘇秦のじゃまはしません)」(やがて)蘇秦が趙を去ったので、同盟軍は解消した。(そこで時機到来と)張儀は、ひたすら連衡策を説いて、六つの国を東西につらねて、(個々に)秦に服従させ(るのに成功し)た。
   ・・・・【十八史略】

 蘇秦は、趙のために合従をはかろうとして、韓の宣恵王に説いた。
 「・・・・・ そもそも、国力強大で賢明な大王をいただく国が、おめおめ秦の属国となりさがる。これ以上の国辱、これ以上のもの笑いはありません。ここは一番、熟考あってしかるべきでしょう。
 大王が秦に仕えるなら、秦は必ず宜陽(ぎよう)と成皐(せいこう)を要求します。今年それを与えれば、来年は、さらに多くの土地を要求してきましょう。毎年、土地を与えれば、ついには、与える土地がなくなってしまいます。与えなければ、それまで与えた土地まで無駄にし、かえって禍をこうむりましょう。大王の領土には限りがあるのに、秦の要求には果てしがありません。果てしのない要求に応ずるのは、怨みを売って禍を買うようなものです。戦わずして領土を削られましょう。『むしろ鶏口となるとも、牛後となるなかれ』といいますが、おめおめと秦に仕えれば、まったく牛後と異なりません。強力な兵を擁しながら牛後の汚名を着せられる。大王のために恥ずかしく思います」
 韓王は、さっと顔色を変え、ひじをはって刀の柄に手をかけ、天を仰いで嘆息した。  「死んでも秦には仕えまい。趙王からの教えをお伝えくださったが、国をあげて従いたい」
   ・・・・【戦国策】


2.蘇代 ・・・ 漁父之利

 年寄り漁師(第三者)の利益

 趙の国が、これから燕の国を攻撃しようとしていた。(遊説家の)蘇代は、燕の国のために(趙の)恵王に向かって言うことには、「きょう私がここにやってくる時、易水を通りました。どぶ貝がちょうど川から出てひなたぼっこをしておりました。そこにしぎが(飛んできて)、どぶ貝の肉をくちばしでつつきました。どぶ貝は(貝)を閉じて、しぎのくちばしをはさんでしまいました。しぎが言うことには、『今日、もし雨が降らず、明日も雨が降らなかったら、(おまえは干上がって)たちまち死んだどぶ貝ができるぞ』どぶ貝も同じくしぎに向かって言うことには、『今日も(くちばしが)抜け出せず、明日も抜け出せなかったら、(おまえは空腹のため)まちがいなく死んだしぎができるぞ』ふたりとも、相手を離すことを承知しません。(そこに通りかかった)年寄り漁師が、両方いっしょに生けどりにしてしまいました。
 さて今、趙が燕を攻撃しようとしています。燕と趙とが長い間にわたって戦い合ったら、そのため人民は疲労しきってしまうでしょう。私は、強大な秦国が(以上の話の中の)年寄り漁師になるのではないか、(そして、どぶ貝としぎならぬ、燕と趙の二国をいっぺんにわがものにしてしまうのではないか、)ということが心配です。お願いですから、王はこの(燕と戦う)ことを、じっくりと考え直してみてください」恵王は言った、「よいだろう」(こうして)どうやら、(戦わずに)終わった。
   ・・・・【戦国策】

鷸蚌の争い ・・・ ふたりが争っているうち、第三者に利益を横取りされて、ふたりは共倒れになること



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