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【未】 ![]() 象形文字。 木のまだのびきらない部分を描いたもので、まだ…していないの意をあらわす。 【家族】 微・尾・眉・美・没・勿・門・文・民 ─ 小さい、よく見えない、微妙な の家族。 【意味】 (1)ひつじ。十二支の八番め。 動物では、ひつじ。 時刻では、今の午後二時、およびその前後の二時間。 方角では、南南西。 ・・・にそれぞれ当てる。 (2)いまだ…(せ)ず。その行為・経験・状態などが、まだ熟していないことをあらわす否定のことば。 まだ…しない。まだ…でない。 【解説】 「微」(ビ)と同じ発音のコトバは、糸や髪の毛のように「小さく細く見えにくい」意味を含む。 カビは小さいから「黴」(ビ)といい、「微」(ビ)を「ない」という意味に用いるのは「見えない」という意味からの派生義で、それは昧(マイ)や勿(ブツ、モチ・ない)に当てた用法。 「尾」(ビ)は「尸(しり)+毛」の会意文字で、動物の細い尾毛のこと。 「眉」(ビ・まゆげ)は微細な毛。細い尾の毛を「尾」(ビ)というのと同じ着眼からできた呼び方。 さて、それでは「未」(ビ、ミ)の字はというと、【解字】にあるように、木の上端に生えた細い小枝を示した字。こずえの枝は細くて小さい。 イモウトを「妹」(バイ、マイ、メ)といい、微妙なアジを「味」(ビ、ミ)という。また、目に見えにくいのを「眛」(バイ、マイ)といい、朝まだきころ、物の見えにくい暗さを「昧」(バイ、マイ)という。また、眠っている時は目が見えないから「寐」(ビ)という。 小さいものは目立たないけれど、やがてはもっと成長するかもしれない。今のところでは見えにくいだけだ。そこで「未」は「イマダ・・・セズ」という否定詞に用いられる。 微妙なものは美しいとされる。「媚」(ビ、ミ)と「美」(ビ、ミ)とは全く同じコトバを表す異体字。 「美」は「羊+大」の会意文字。ひつじは犠牲(いけにえ)にも食用にも供するとても大切な家畜であった。 「美とは甘なり」(説文)とあるように、「美」とは「玩味するに足る微妙な味」のこと。 肝心の、「未」が、なぜ十二支の「ひつじ」を表すのかは、下の引用をご覧くださいね。 (『賢者への人間学』藤堂明保・産業新潮社)絶版 より → ※関連:「義」 - 漢字家族 ![]() ![]() 「未」は成長途上の植物の意 子丑寅・・・・・・とかぞえて亥に終る十二進法の数え方がある。その八番めが未にあたる。この数詞は、もとは子(=種子)から始まり亥(=核、結実してしんができる)に至る植物の発達段階を十二段に分けて表したもので、未はまだ熟しきらない成長途上の植物を表している。つまり未熟の未という意味である。 しかし「文盲の百姓に数を教えるには、むずかしい文字や言葉では不便である。いっそのこと身近な動物の名を当てたらよかろう」(なんと差別的な発想か。これが「知識人」の発想)というので、ネズミ・ウシ・トラ・・・・・・と当ててゆき八番めには羊をもってきた。 ※十干と十二支 -- 干支(えと・かんし) 「羊」は美と栄養食の代表 → ※関連:「義」 - 漢字家族 牧畜に縁のうすい日本人と違って、中国人は羊をたいせつな家畜としてきた。三千年前には、北中国に羌(キョウ)と呼ばれる遊牧人が羊を放牧していた。羌は「羊+人」を合わせて羊飼いを表した字で、今日のチベット人の元祖にあたる。その影響をうけて、大昔から華北、華中の漢民族も羊の肉と羊の毛皮とを愛用した。 羊という字は、ヒツジの頭部を描いた字で、つのの特色をよく表している。羊肉は古代から最もたいせつな栄養食であったので、「羊+食」を合わせて養という字ができた。羊(ヨウ) ─ 養(ヨウ)は、発音までひとしい同系語である。またヒツジの姿は、やさしく堂々としているというので、「羊+大(りっぱ)」を合わせて美という字ができた。中国では昔からあか犬の肉も食用にしたが(黒や白の犬は食べない)、それは羊肉の旨さには及びもつかない。そこで「いかさま商売」を諷刺して「羊頭を懸(かか)げて狗肉を売る」という。だからこそ、十二進法の動物の名にヒツジが登場したのであった。 晩秋から正月にかけて、北京の街かどには「焼羊肉」の立て看板が立ちならぶ。いわゆるジンギス汗鍋のことであるが、これも羊肉を使い、豚や牛は用いない。日本では「ヒツジ年の女は・・・・」などと悪口をいうようだが、中国では羊は、美と栄養食の代表である。「一衣帯水」とはいっても、島国と大陸では話が違うのである。 (『賢者への人間学』藤堂明保・産業新潮社)絶版 より |