「登龍門」とは、最近ではめったに聞かれなくなった言葉だ。 その昔、国家の目的が「富国強兵」であった頃、個人の目標は「立身出世」。とくに、難関とされる大学の試験にパスすることを「登龍門」と言った。 そこで、ひろく出世街道にさしかかる時の難関(龍門)を突破するのを「登龍門」(龍門に登る)という。
私はかつて、河南省洛陽の世界遺産「龍門石窟」を訪れたとき、「龍門」と大書された額がかかる橋(上の写真)の上に立ち「登龍門だあ!」などと、たわいもない駄洒落をとばしたが、「漢字源」 によると「龍門」とは、「黄河の上流、山西省河津(カシン)県と陝西(センセイ)省韓城(カンジョウ)県の間にある急流」とあるから、本当の「龍門」とは場所がかなりズレている。(地図参照) この「龍門」は、滝のように流れが急な渓谷である。このものすごい急流を鯉が登り切ることができれば、化して龍となるという伝説があった。それほど昔人間ではない(?)私でさえも、小学校の校長先生の訓話に引用されていたことを思い出すほど有名な話だ。「鯉の滝登り」ともいう。ここから日本でも「こいのぼり」の風習が生まれたともいわれている。 「登龍門」の出典は、『後漢書』李膺伝。 李膺という人は公明正大な人物であり、のちに「党錮の禁」において反対派に讒言され、無実の罪で逮捕されてしまったが、当時から名高い政治家であった。なんとかして、この宮廷の実力者に面会することができたら、しめたもの、もはや「龍門を登った」ようなものだといわれた。 その後、唐の時代になって、科挙の試験にパスして「進士」となることを「登龍門」と呼んだ。
「龍門」の下には、川下から遡上してきた大魚が何千となく集まって登ろうとするが、そのうちの大多数は失敗し、頭に打撲傷を受ける。だから「登龍門」の反対を「点額」(テンガク)という。
李白の「韓荊州に与うるの書」に「一登龍門、則声価十倍」(一たび龍門に登れば、則ち声価は十倍す」とある。
*是時朝廷日亂、綱紀頽阤、膺獨持風栽、以聲名自高。士有被其容接者、名為登龍門。 【後漢書・黨錮列伝・李膺伝】
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